「家族関係」について書こうと思うことがたまにあります。
「家族関係」といっても二人暮らしの子どもとの関係なら気軽に書くことができます。しかし、郷里の父母や、今の夫婦別居の状況などを含めた広義の「家族関係」になると、頭の中でぐるぐる考えるだけ考えて目をそらす。
「家族関係」について正面切ってなかなか向き合えない私ですが、他の方が書かれた記事へのコメントを通じて自分を振り返ることが良くあることに最近気づきました。
今日は、自分のはてなブックマークのコメントを見返しながら自分自身を振り返ってみようと思います。
100文字で伝えきれないことがある〈家族関係〉
熟年離婚はお互い大損 2組の夫婦に見る幸せの形
私も友人Yさんと似たような状況ですが、多分同じく「無理だ」と答えるでしょう。 損得とか冷静に判断できなくなる程にこじれるから離婚に至るのだと思います。
(2018年1月29日(月)/74文字)
熟年離婚について考察された記事の中の「友人Yさんに復縁を進めるエピソード」についてのコメント。私は現在、世帯分離して子どもと二人暮らししているのですが、そこに至るまでに家裁での調停期間も含めて3~4年掛かりました。それでなんとか別居まで漕ぎ着けるもそこでお互い力尽き、未だ離婚に至っていない状態。別れるのはとても大変です。愚かなことだということも理解できるつもりなのですが、やはり結果はYさんと同じく「無理だ」になってしまうのです。
一番の失敗は、お互いに「愛に条件を付けていた」ことだと思います。
都内ネットカフェ難民推定4,000人の人生に何を想う
貧困と犯罪は表裏一体。貧しくなると心も貧しくなるのはよくわかります。旦那の給料が下がると夫婦関係も悪化します。こういう状況に追い詰められてしまった時の救済策・希望がある世の中になって欲しいと願います。
(2018年2月1日(木)/100文字)
まだ20代の頃、駆け出しの私は手取り10万の給与で家賃4万5千円に住んでいたことがあります。その後、いろいろな巡り合わせがあり収入も増えたのですが、1歩間違えばネットカフェ難民のような状態になる可能性も十分にあったと思う時があります。
「貧すれば鈍する」ということわざのように、貧困に追われ日々の生活で精一杯になってしまうとなかなかそこから抜け出せなくなってしまいます。そして夫婦関係も給与が下がり日々の生活が精一杯になってしまうと確実に悪化することは身をもって知りました。
「忙しい」は「心」を「亡くす」こと。心が亡くなったらそれはもうリビングデッド(生ける屍)だと思う。
DINKSの家計管理はどうするのか
「貯金目標額、貯金目標を夫婦間で共有できていなかった」うちもこれでした。結局最後まで共有することはできませんでした。
(2018年2月2日(金)/58文字)
お金の使い方については、いつも諍いが絶えなかった。後先考えずあればあるだけ使ってしまう人だった。二人の方が確かに収入は多かったが、いつもお金のやり繰りに苦労した。そこに私の収入が減ったことがとどめを刺したのだと思う。
【親の遺品整理】金塊を残されたときは書類が必要
うちの両親(特に父)は堅実なので金塊の心配はなさそう。それよりも最近は、自分が死んでしまった時のことを少し考えます。少しずつ保険やか預貯金(あまりありませんが)を子どもに分かるようにしておかなければ。
(2018年2月2日(金)/100文字)
実際に確認したことはありませんが、堅実な両親は自分たちのことは何とかできるだけの貯えを持っているようです。一方の私は、世帯分離して少しずつ貯蓄に回せるようになり、改めて保険や投資について見直しを行ったばかり。そして、それらはまだ私一人しか把握していません。最近たまに「もし今、自分が死んでしまったら」ということを考えます。そんな事態に備えて、子どもが困らないように今から「エンディングノート」を用意しておこう。
感想書いてみた。
私はお父さんですが、別にお父さんだからではなく、ただ子どもに喜んで欲しいことを優先することはあります。もちろん合わせないことも多々。妻に対してはだんだんそういう風に1ミリも思えなくなって別れました。
(2018年2月7日(水)/99文字)
「あたし おかあさんだから」という歌の歌詞が炎上したことはネットのニュースで知りました。そして歌は聞かないまま歌詞だけ目にしました。
この歌詞、はじめの方はなんだか「親の押し付け」みたいな感じがして、批判する人の気持ちも分かる気がします。でも最後の5行の歌詞で印象が変わると思います。いいたいことはきっと「あなたの おかあさんになれてよかった」ということだけ。
私は、子どもが出来てから、うれしくていろんなことを子どもに合わせて子ども優先にしました。お父さんだからではなく、ただ私がそうしたかったから。私は、子どものお父さんになれてよかったと本当に思います。
【価値観】「さよなら 父さん。また、逢いにくるから。」冷えきった夫婦にかける言葉が見つからない。
『子供のためにならない。そう最終決断したらしい。「価値観の違いがあった」のだと。』まるで自分のことを言われたようでした。私も子どものためにならないと強く思っていました。お互いの正義を譲り合えなかった。
(2018年2月8日(木)/100文字)
娘さんの友達の両親が離婚し、引っ越ししていくエピソード。旦那さんのリストラを契機にいろいろな負の面が見えてきてしまったのかもしれません。この夫婦の奥さんは「子供のためにならない。」と最終決断をしたそうです。
私たちの場合は、多分、お互いがお互いに「子供のためにならない。」と思って別居に至りました。お互い、自分のやり方のほうが子どものためになると価値観を譲りませんでした。私にも、相手にも言い分があるので、どちらが正しいなんてことはいえないと思います。それでも「お互いの正義を譲り合えなかった。」
いつだって争いは、正義と悪が戦うのではなく、正義と正義がぶつかり合う。
借金返済の為にギャンブルを辞めたいと決意した理由
昔は別の道に進んだ自分を想像することもあったが、今はそういうことはなくなりました。けして全てが満足な人生ではないし、むしろ失敗したことの方が多いかもしれない。でもやり直しても同じ選択をすると今は思う。
(2018年2月8日(木)/100文字)
ギャンブルにハマった過去を持つ筆者が人生の違う選択肢について書いたエピソード。
私はギャンブルにハマったことはありませんが、過去に人生について「もしも」と考えたことはありました。まわりと比較すると私の人生の水準はけして高いとはいえないと思うこともありますし、実際、今も家族別居状態です。
それでも、もう一度、やり直すことができるとして、そしてまた同じように別居してしまうとしても、今ならやはり同じ選択をすると思います。もしちがう選択をしてしまったら今の子どもに出会うことが出来なくなってしまうのだから。
共働きで核家族なわが家で、病気続き。子育て10年目にして、実家に気づかされたこと
困った時に頼れる先があるのはうれしいですね。先日、私がインフルエンザ、子どもが溶連菌になった時、たまたま小学校の学級閉鎖も重なり、結局、どこにも頼ることなく1週間休みました。もし発症時期がずれていたら
(2018年2月10日(土)/100文字)
家族がインフルエンザに罹って、10年目にしてはじめて実家に頼ったというエピソード。もし自分ならどのような状況で実家や周りにヘルプを出すのか改めて考えてみました。
今回、私がインフルエンザに罹患した際は、たまたま子どもも病気と学級閉鎖で同じように一週間休みになったのですが、もしこのタイミングがズレていたら。インフルエンザで一週間休んだ翌週に、さらに子どもの病気で有給は使えるのか?病児保育を利用するのか?それとも実家に頼ることができるのか?
「世の中 お金が全て」「人生 お金じゃない」を考える。貧困から脱出して幸せになれるのか。
「金がすべてじゃないなんてきれいには言えないわ」という歌詞を思い出した。確かにお金はすべてではないが、決してないがしろにしてよいものでもない。お金のことはもっと子どもの頃にちゃんと教える方が良いと思う
(2018年2月10日(土)/100文字)
貧困のサイクルにハマると抜け出すのは難しい。それはもし子どもがいれば子どもにも引き継がれてしまう可能性もあります。若い頃の私は「お金の大切さ」についてあまり理解していませんでした。けして無駄遣いしていたわけではありませんが、将来を見越した計画やお金の殖やし方についてあまりに無知でした。
子どもにお金のことをしっかり教えられるようになることと、子どもが成人するまで、最低限の義務を果たせるようにはしたいと思います。 でも、孫にお年玉があげられるようなおじいちゃんになれるかまでは正直なところ自信がない。
『子や孫にしばられない生き方』河村都著、これからのシニアの生き方
うちの母はつつましい生活を送りながら、私に昔から手紙や会った時などのお金を渡す。実際、そのお金に助けられてしまうこともある、心配かける私が情けないのですが、私はもっと自分のために使ってほしいと思う。
(2018年2月10日(土)/99文字)
うちの母とお金でもめたことがある。といっても「お金をくれない」といったことではありません。「お金を渡さないで欲しい」ということでした。私の結婚相手はあればあるだけ使ってしまう人でした。私は将来のためそれを何とかしたいと思っていたのです。
ある時、私の母が私の結婚相手に100万円くらいの預金が入った通帳を渡していることが発覚しました。その頃、私たちは妻が大学に行くといって仕事を辞めており、確かに生活も苦しかったのですが、二人で節約してがんばろう!といっていました。しかし、実際は母からもらったお金を自分のために使っていたのです。
あの頃は、とにかくいろんな出来事がすべて上手くいきませんでした。
私の父は、母が私の子どもに高いおもちゃ等を買ってあげるのにも良い顔をしない堅実な人です。あまり高いとハラハラしてしまう私もそんな父譲りなのかもしれません。母はそんな父にこれまでずっと我慢してきたのだからといますが、自分自身のためにはあまりお金を使っているようには見えないのです。
【高齢者ドライバー】車のエンジン始動プロセスをそろそろ変えよう。「若い芽を摘むんじゃない!」
そのような事故の報道を知るたびに「もし、自分の子どもが」と思うとゾッとする。自分の衰えを認めるには勇気が要りますが、悲しみを生み出す前に免許を返上する勇気を持って欲しい。それか完全自動運転車の実現を!
(2018年2月11日(日)/100文字)
うちの父は80を越えたいまでも車を運転します。母は少し前に「父の運転は怖くなった」といっていました。そろそろ父に車を乗るのをやめることを考えてもらうのが良いかもしれない。
子どもが犠牲になるニュースを見聞きするたびに「もし、自分の子どもが」と思うことがある。今の私はその恐ろしい想像には耐えられません。私にとって子どもは、たぶん「この世界で唯一無条件で愛せる存在」。もし、そんなことがあったら、私は恐ろしい存在になってしまうかもしれません。だからなるべくそういうニュースは目にしないように日々気を付けています。
私にとって家族に向き合うことは、自分の弱さに向き合うことのような気がします。
でも、自分の弱さを知らなければ、きっと強くなることもできないのだと思います。
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