こんにちは。
あなたは上司や先輩、親などに「若い頃の苦労話」を聞いたことはありますか?(もしくは、若い人に苦労話を聞かせたことはありませんか?)
ことわざに「若い時の苦労は買ってでもせよ」とあるせいか、日本ではとかく自分が苦労したことを自慢し、目上の人が後進への教訓として伝えることが多々ある気がします。そして、そのほとんどは目下の人への「自分と同じような苦労をするべきだ」という助言へとつながっていきます。
今回は、どうして人は自分が苦労したことを自慢し、後輩に同じような苦労を強いてしまうのかについて考えてみます。
「自分も苦労した」という理由で、目下の人に苦労を強いる人たち
人はどうして自分が苦労したことを自慢し、後輩に苦労を強いてしまうのでしょう?まずは、「自分も苦労した」という理由で、目下の人に苦労を強いる人の心理について考えてみます。
同じ苦労話でも、自らの目標のために苦労した人は、成功者であれ失敗した人であれその「苦労」を他人に勧めることはありません。
成功者であれば、その成功が自分の苦労(=努力)以外にも多くの要因があったことを理解しており、例え同じような苦労をしても必ずしも同じような結果にならないことを知っているからです。
また、失敗した人であれば「自分のような苦労をするな」ということはあっても、「苦労」することを助言することはまずありません。
では、自らの苦労話を自慢し、後輩などに「苦労した方が良い」とアドバイスするのはどのような人なのでしょう。それは
自分が望まない苦労をした人
上司や先輩・親のいうことを「理不尽」だと感じながらも耐えて、自らが望まない状況の中で苦労を強いられ乗り越えてきた人であることが多いと考えられます。そして、そのような体験をした人は往々にして、自分が体験した嫌だと思ったことを、そっくりそのまま自分より立場の弱い人にぶつけてしまいがちなのです。
ではなぜ、自分がされて嫌だったことを、他人に強いてしまうようになるのでしょう?それは、自分が過去に体験したときに味わった強い恐怖や無力感を、自分よりもっと弱い立場の人に体験させることによって乗り越えようとする心理が働くからです。これを
「攻撃者との同一化」
といいます。
極端なケースでいえば
例えば、ブラック企業などで、パワハラ社長が管理職を社員の目の前で叱りつけたりすると、その管理職が社長のマネをして社員をどやしつけたりするのも、「攻撃者との同一化」によって、不安や恐怖感を隠すために攻撃をしかける人(パワハラ社長)のマネをして、自分をより強くみせることで乗り越えようとするのです。
虐待を受けた子どもが虐待をする親を取り入れて、自分より弱い子をいじめたり、大人になってから自分の子どもを虐待したりするのも同じです。
辛い体験をした人は、自分より立場の弱い人を見つけると、その人を同じ辛い目に合わせることによって、自分が受けた傷を癒し乗り越えようとするのです。
苦労についての錯覚
パワハラやいじめ、虐待ほど極端な例ではなくても、理不尽な苦労を強いられることは多々あります。しかし、そのような苦労には大きなデメリットがあります。
人は苦労をすると、自分がものすごく努力をしていると錯覚してしまう
のです。これは成果の上がらないような場合にも起こります。つまり、無駄なことをしているのにものすごく頑張っているとい勘違いしてしまうのです。さらに恐ろしいことに、そのような苦労している人は、苦労をしていない人を「努力をしていない人」だと思い始めてしまうのです。もし、そのような人が上司になってしまうと、部下にムダな苦労を強要するようになってしまうのです。
日本の労働生産性があがらないのには、こんな理由もあるような気がします。
ドラえもんにみる「無駄な苦労」の教訓
ドラえもんにも「苦労」にまつわるエピソードがあります。てんとう虫コミックス第8巻に収録の「くろうみそ」というお話です。
ある日、いつもラクばかりしようとするのび太くんに、パパがお説教をはじめます。
「苦労は買ってでもしろと昔の人が言った」
そういって、目の前の物事から逃げて楽ばかりしていれば、人間ろくな目に合わないと力説するパパに、次第に感化されるのび太くん。
「困難から逃げるな!立ち向かえ!」
というパパの力強いことばを受けて、やる気になったのび太くんは、ドラえもんに苦労する道具を出すように頼みます。
そんなのび太くんに冷静にドラえもんは
「君にしては良い心がけだけど、本当にいいの?」
とのび太くんに確認したうえで、なめると“なめた量に応じて“なにをするにもひどく苦労する羽目になる「くろうみそ」というひみつ道具を出します。
燃えに燃えているのび太くんはさっそく「くろうみそ」をひとなめし、おやつを食べようとします。しかし、さまざまなことがおきてなかなか食べることができません。苦労してやっとおやつを食べ終わってひとこと、
「たかがホットケーキを食べるために、こんなに苦労するなんて」
とパパの話にもすっかり懐疑的に。
「苦労したという事実が大事」というパパに対しても、
「う~ん、そうかなぁ?無駄な苦労ってのもあるんじゃないの?」
というのび太くんでした。
お話はこの後、苦労の大切さを教えるためにくろうみそをたっぷりなめたパパが、タバコを吸うのに苦労して木の棒で火起こしをするシーンで終了します。
ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄先生といえば、戦中・戦後の時代を生きて様々な苦労を強いられた世代です。そんな経験をした藤子・F・不二雄先生がのび太くんに「無駄な苦労ってのもある」といわせることができるはとても素敵なことだと思いませんか。
そこには「子どもたちに同じ苦労をさせてはいけない」という藤子・F・不二雄先生のやさしい想いがこもっているような気がします。そして、そんな藤子・F・不二雄先生だからこそ、夢のようなひみつ道具をたくさん考えることができたのだと思います。
後輩に「無駄な苦労」を強いてしまわないために気をつけたいこと
藤子・F・不二雄先生にならってというわけではありませんが、私たちも後輩に無駄な苦労を強いてしまわないように注意したいものです。
今回は、自分がそうした人になってしまわないように気をつけたいことについて考えてみます。
その苦労話、少しもって話していませんか?
自分が苦労した話を後輩などに話すとき、大げさに話しちゃったりすることありませんか?
例えば、大至急の仕事で1日徹夜したことを「あの時は3日も家に帰れなかった」とか。
もし、そんな風に苦労を大げさにもって自慢げに話しているとしたら危険です。その苦労は会社や上司(もしくは自分自身)の段取りの悪さで強いられたことだったかもしれません。それを、「徹夜でがんばったオレ、かっこいい」と自慢していては、後輩に同じことを強いてしまう可能性があります。
大切なのは、苦労を教訓に後輩が同じ轍を踏まなくても良いように配慮してあげることではないでしょうか。
最近の若い奴は…とかいっていませんか?
「最近の若い奴は…」こんなことをいったり「オレが若い頃は…」みたいな説教をしちゃったりしていませんか?
「最近の若い奴らは恵まれているよ。オレが若かった頃なんて…」
こんな風にいったところで、若い人はあなたが若かった頃にはなかった別の苦労だって多く抱えていたりします。また、あなたの時とは「時代」も「環境」も異なり、さらに「あなた」と「後輩」も全くの別人です。
このような状況で、若い頃のあなたの苦労が活かせるのはかなり稀なケースのみに限られるのではないでしょうか?
それならば、あなたが考える「若い人たちの恵まれた環境」を活かし、今の時代にあったより効率的な方法を、若い人たちと共に模索していく方がより建設的ではないでしょうか。
わざわざ、あなたが理不尽だと感じた上司と同じ轍を踏む必要はないのです。
まとめ
人はどうして自分が苦労したことを自慢し、後輩に苦労を強いてしまう人は社会のどの様な組織にもいると思います。そういった人とどのように付き合うかについて、残念ながら、私には具体的な対処法をお示しすることはできません。
1ついえるのは、そういった人は立場こそ上ですが、ある意味で「弱い人」ともいえます。その弱さに対して真っ向から対抗してしまうのは、うらみを買ってしまう可能性もありおススメできません。それよりは
「昔、苦労されたことを理解し、尊重する」
というスタンスをとるのが良いと思います。
あなたが立場が上の人の場合は、自分が若い時のことをいま一度思い出して、その時、本当はどうしたかったのか、どうすべきだったのかを考えてみると良いかもしれません。
役職や立場が上だとしても、それは単に「任される責任が重くなって、その分、給料があがっただけのこと」。責任を果たしていることで信頼され尊敬されるのであって、役職が上だからえらいということではけしてないのですから。
どうして人は自分が苦労したことを自慢し、後輩に同じような苦労を強いてしまうのかについての考察は以上です。
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