
あなたは、失敗した日の夜、布団に入ってからその場面を何度も思い出して、自分を責める声が止まらなくなることはありませんか。「どうしてあんなことを言ったんだろう」「前にも同じことをしたのに」。しかも、責めたあとに「こんなに責めている自分も嫌だ」と、もう一段責めてしまうこともあります。
責める声は、事実を並べているようで、気づくと結論までつけていることがあります。「ミスをした」という出来事と、「だからだめな人間だ」という判決が、ひと続きの言葉になって聞こえてくるのです。
私自身、人から指摘された一言を、しばらく頭の中で繰り返していることがあります。出来事は一つなのに、気づくと自分という人全体を責める話になっているのです。
この記事で扱う自己受容(セルフ・アクセプタンス)は、この責める声と関わるときの、一つの選択肢です。責めるのを今すぐやめることでも、自分を好きになることでもありません。
今回は、自分を責めてしまうときの関わり方の一つ、自己受容について考えてみます。読めるところだけ読めば十分です。
自己受容ってどういうもの?
自己受容とは、できた自分もできなかった自分も、「良い」「悪い」の判定を挟まずに、今ここにある自分として認めることです。英語では self-acceptance(セルフ・アクセプタンス)といいます。
たとえば、約束の時間に遅れてしまった場面を考えてみます。「遅れた。相手を待たせた。申し訳ないと思っている」。これは、起きたことと、そのときの気持ちをそのまま認めている状態です。ここに「遅れるなんて、本当にだらしない」という判定がつくと、認めることから離れて、責めることに近づきます。
自己受容は、自分への「態度」や「過程」として捉えることもできます。持っているか持っていないかの「状態」というより、自分への向き合い方のことだと考えると、つかみやすくなります。
自己受容は心理学で使われる用語で、病名や診断名ではありません。「自己受容できていない人は、何か問題がある」と判定するための言葉でもありません。難しい理論というより、「自分に対する、一つの関わり方の呼び名」くらいに受け取って大丈夫です。
自己受容・自己肯定感・自己効力感は、どう違う?

似た言葉が3つあるので、先に整理しておきます。
- 自己受容(セルフ・アクセプタンス):自分への関わり方(態度)。「間違えた。恥ずかしい」と、判定を挟まず認める
- 自己肯定感:自分そのものをどう思うかという感覚。「このままの自分でいていい」と思えるかどうか
- 自己効力感(セルフ・エフィカシー):その場面への見込み。「この場面なら、やれそう」
ここでの分け方は、わかりやすくするための整理です。資料によって定義には幅があります。自己効力感の詳しい説明は、別の記事に任せます。
気持ちが追いつかなくても、関わり方は選べる
自己肯定感は「感覚」なので、そう思えない日は、思えません。無理に思おうとしても、ついてこないことがあります。
けれど自己受容は「関わり方」です。「このままでいいとは思えない」という気持ちがあるままで、「今、そう感じているんだな」と認めることはできます。気持ちが追いつかなくても、関わり方は選べる。この記事では、この点を一番大事にしています。
なぜ、自分を受け入れにくいのか
欠点や失敗は、認めたくないもの
欠点や失敗を認めるのは、思っているよりつらいことです。そのつらさがあるためか、認める代わりに、別の形で出てくることがあります。
- 失敗を、なかったことのように隠す
- 状況や周りの人のせいにする
- 他の人と比べて、自分の立ち位置を測ろうとする
こうした反応は、多くの人に起こりうるものだと思います。意志の弱さや性格の悪さを示すものとは限りません。認めるのが難しいのは、ごく自然なことかもしれません。
「理想の自分」と「今の自分」のずれ
「本当はもっと落ち着いて対応できるはずだった」「このくらいは、できていて当たり前なのに」。こんなふうに、頭の中に「こうありたい自分」がいることがあります。
理想を持つこと自体は、悪いことではありません。ただ、理想と今の自分のずれを感じるたびに、そのずれを「足りない」と責める材料にしてしまうことがあります。ずれが大きいと感じるほど、今の自分を認めにくくなるのかもしれません。
「責めたほうが良くなる」と思っていることも
もう一つ、人によっては「自分を責めないと、同じ失敗をまた繰り返してしまう」と思っていることがあります。責めるのをやめたら、甘くなってしまいそうで怖い。そんな気持ちです。
そう考えると、責める声は、自分を良くしたい気持ちと、つながっているのかもしれません。この疑問は、次の節で扱います。
ここまで挙げたものは、原因を決めつけるものではありません。いくつかが重なっている人もいれば、どれにも当てはまらない人もいます。
自己受容は「あきらめ」ではない
「受け入れたら成長しないのでは」という疑問
「今の自分を受け入れる」と聞くと、「今のままでいいということ? それだと変わらないのでは」と感じる人もいるでしょう。責めることで頑張ってきた人ほど、そう感じやすいかもしれません。
「受け入れる」と「変わる」は、同じ引き出しに入っているのではなく、別の引き出しにあるものとして考えると、整理しやすくなります。
受け入れる対象は「今の状態」、決めるのは「これから」

たとえば、今は泳げないとします。「今は泳げない」と認めることは、「一生泳がない」と決めることとは別です。泳げるようになりたければ練習を選んでもいいし、泳がなくていいと決めてもいい。認めたうえで、これからを選ぶのは自分です。
自己受容で認める対象は、「今の状態」です。「資料の数字を間違えた」「そのことで、自分を責めている」といった、いま起きていることです。
欠点を好きになる必要はない、という考え方
心理学者のアルバート・エリス(Albert Ellis)は、「無条件の自己受容(unconditional self-acceptance)」という考え方で知られています。この考え方は、自分の欠点を認め、それを強みと同じく自分の一部として受け入れる過程と説明されています。
ここで大切なのは、欠点を好きになる必要はないとされている点です。欠点は、嫌なままでかまいません。「嫌だと感じている」ことと、「それが自分の一部として、そこにある」と認めることは、両立しうるのです。
「開き直りにならない?」という心配について
「受け入れたら、『どうせ自分はこうだから』と開き直ってしまいそう」と心配になる人もいるかもしれません。
この記事では、一つの見分け方として、見ている先の違いを挙げます。開き直りは、問題から目をそらす方向に向かいやすいものです。一方、自己受容は、欠点や失敗を認める、つまり「ある」ことをきちんと見る方向にあります。
「甘えてはいけない」という声が、この心配を大きくしていることもあります。その声に気づくところから、次の節の手順が始まります。
責めてしまった直後に試せる、自己受容の手順
全部やらなくていい、一つだけでも
責めてしまった直後に使える、5つの手順を紹介します。流れは次のとおりです。
- ①責めている声に気づく
- ②事実・気持ち・評価を分けて書き出す
- ③評価を挟まず「そうなんだ」と認める
- ④「〜してしまった自分」と「自分そのもの」を分ける
- ⑤次の一手は小さく選ぶ

全部やらなくても大丈夫です。①だけで終わってもかまいませんし、順番どおりでなくてもかまいません。合わないと感じた手順は、飛ばしてください。
以下の例は、イメージしやすいように用意した架空の場面です。「会議で、資料の数字を一か所間違えていたと指摘された」という出来事を使います。効果の感じ方は人それぞれで、楽になると約束するものではありません。
①責めている声に気づく
最初の手順は、声の内容を変えることではなく、責めていることに気づくことです。
頭の中で「こんな初歩的なミスをするなんて。本当にだめだ」と聞こえたら、心の中で「あ、いま、自分を責めているな」と一言つけ加えます。声に出してもいいですし、思うだけでもかまいません。
気づくだけで、声のただ中にいる状態から、半歩だけ離れやすくなることがあります。ここでは、声を止めようとしなくて大丈夫です。
②事実・気持ち・評価を分けて書き出す
次に、責める言葉を3つに分けて書き出します。
- 事実:あとから誰が見ても、同じ内容になること
- 気持ち:自分の中に生まれた感覚(恥ずかしい、焦った、など)
- 評価:良い・悪いの判定や、決めつけ
先ほどの場面なら、次のようになります。
- 事実:会議で、資料の数字を一か所間違えていた。指摘された
- 気持ち:恥ずかしい。焦った。がっかりした
- 評価:初歩的なミスをする。いつも詰めが甘い。やっぱり自分はだめだ
分類に迷うときは、「いつも」「やっぱり」「だめ」のように範囲を広げる言葉が入っていれば、評価に近いかもしれません。それでも迷う言葉は、無理に決めなくて大丈夫です。責める声を消すのではなく、置き場所を分けるつもりで、紙やメモアプリに書き出してみてください。
③評価を挟まず「そうなんだ」と認める
3つに分けたら、事実と気持ちの2つだけを、自分への言葉にします。
「数字を間違えた。それで、恥ずかしくて、焦っている。そうなんだ」
ポイントは、そこで止めることです。「でも」「だから」「次こそは」と続けると、反省や励ましを足したくなりますが、いったん何も足さずにおきます。逆に、「大したことじゃない」と軽く見せる必要もありません。認めることと、軽く扱うことは、別のことです。
心から納得できなくても、言葉にして置くだけで十分です。
④「〜してしまった自分」と「自分そのもの」を分ける
評価のなかの「だめだ」という言葉は、出来事への感想ではなく、自分という人全体への判決になっていることがあります。「数字を間違えた」は出来事です。「だめな人間だ」は、人柄すべてに向けた断定です。
出来事は出来事として認めたまま、人柄全体には広げない。そのために、言い方を少し変えてみます。
- 「自分はだめな人間だ」→「数字を間違えてしまった自分がいた」
自分という人は、この一場面だけでできているわけではありません。同じ自分が、別の日には、別のことをしています。
「だめじゃない」と言い切れなくても大丈夫です。「そう言い切るのは、今は難しい」と思うなら、それをそのまま認めるところまでで十分です。
⑤次の一手は小さく選ぶ
認めたあとで、これからどうするかを考えます。決めるのは自分です。
選ぶなら、今日のうちに終わるくらいの、ごく小さなことが選びやすくなります。たとえば、「次の資料は、送る前に数字だけ声に出して読む」。あるいは、「今日は何もしないと決める」ことも、立派な選択です。
今はまだ決めない、という選び方もあります。
この5つの流れは、責めてしまった直後でなくても使えます。
うまくいかない日は、受け入れられない自分も責めなくていい

「受け入れよう」とするほど苦しくなるのは、自然なこと
「ありのままでいいと言われても、そう思えない」「受け入れなきゃと思うほど、受け入れられない自分を責めてしまう」。そんな状態になる人もいるでしょう。
矛盾しているようですが、起こりやすいことかもしれません。「受け入れよう」と力が入るほど、そこに届かない自分が目につくからかもしれません。
前の節の手順は、うまくできたかどうかを試す課題ではありません。受け入れられなかった日があっても、それは失敗ではなく、そういう日だった、というだけのことです。
どれくらい続けると楽になるか、「何日続ければ」といった目安は、ここでは書けません。ゆっくり進む人もいれば、行ったり来たりする人もいます。
責める声が出てきても、消そうとしなくていい
手順を試しているのに、責める声がまた聞こえてくることもあります。声は声のまま、そこに置いておきます。
つらさが長く続くときは
責める気持ちや落ち込みが長く続き、日々の生活がつらいと感じるときは、一人で整理しようとしなくても大丈夫です。
信頼できる人に話す、職場や学校の相談の場を使う、カウンセラーのような専門職に相談する、公的な相談の場を利用する。相談の形にはいくつかの種類があります。自分に合いそうなところから、選んでください。
まとめ
責めてしまった日の自分に向けて、できない自分を責めずに受け入れるために持ち帰ってほしいのは、次の3点です。
- 自己受容(セルフ・アクセプタンス)は、評価を挟まずに今の自分を認める「関わり方」。好きになれなくても、気持ちが追いつかなくても、選べる
- あきらめとは違う。受け入れるのは「今の状態」で、これからどうするかは、自分で決めていい
- 受け入れられない日があっても、責めなくていい
また責めてしまった日は、気が向いたときに、この記事の手順を一つだけ試してみてください。うまく受け入れられない日があっても、手順はまた使えます。
この記事では、自己受容、自己肯定感、自己効力感のどれから整えるかに、正解の順番があるとは考えていません。小さな「できた」を積む方法は、自己効力感の記事で解説しています。
もう一つ、責める声の出どころを、人生脚本という考え方から捉え直してみることもできます。人生脚本は、子どもの頃の経験から形づくられた、思い込みのシナリオのことです。興味があれば、人生脚本の記事も読んでみてください。
自分を責めてしまうときの関わり方の一つ、自己受容についての考察は以上です。

コメント