こんにちは。
もし、「あなたは自己肯定感は高いですか?」とたずねられたら、あなたはどう答えますか?
自信を持って「はい」と答えられる?それとも「昔は低かったけれど今は」という感じでしょうか。それとも「いいえ」とうつむいてしまうでしょうか。
もしかしたら生まれつき自己肯定感が高くて、自己肯定感なんてことを気にしたことがなく「自己肯定感って?」という人もいるかもしれません。
今回は、生まれついて自己肯定感が高い人は、自己肯定感の低い人の気持ちを理解できるのかどうかについて考えてみます。
自己肯定感はどう養われるのか?
そもそも、自己肯定感はどのように養われるのでしょう?
自己肯定感とは文字通り「自己を肯定する感覚」のこと。自分のことを「無条件」に「自分は大切な存在だ」とこころから感じることができるか、ということです。
子どもの貧困と教育政策を専門に多数の執筆・講演活動を行うポール・タフ氏の著書『成功する子 失敗する子』によると、自己肯定感は、子どもの頃、「幼少期の体験」によって養われるといわれています。
生後1ヶ月ほどのあいだ、泣いたときに親からすぐにしっかりとした反応を受けた乳児は、1歳になるころには、泣いても無視された子供より自立心が強く積極的になった。
まだ幼い頃に、親から「あなたがいてくれるだけで幸せ」という無条件の愛情をたっぷり注がれて育てられた子どもは自己肯定感が高く積極的になるのです。
自己肯定感の低い私にはにわかに信じられないのですが、つまり、世の中には物心ついた子どもの頃からずっと積極的で自己肯定感が高い人が存在する可能性があるということです。
生まれつき自己肯定感高い人は、自己肯定感の低い人の気持ちを理解できるのか?
生まれつき自己肯定感が高く、自己肯定感が低くなったことのない人は、自己肯定感が低いという状態を理解できるのでしょうか?
以前、どこかのブログで
辛い境遇を抱えた人たちが集まって自らの境遇を語り合う会に、そのような境遇になった事がない人が1人の女性が参加していて、参加者が涙を流しながら自分の状況を語る中で、その人だけが「わたしは、皆さんの気持ちはわからないのですが、がんばって!」といった。
というようなエピソードを見たことがあります。もはやうろ覚えですが
この女性があまりに堂々とそのようにいったので他の参加者はただただ唖然とした。
というような内容だった気がします。
もしかしたら、生まれつき自己肯定感の高い人は、自己肯定感が低い人の気持ちを理解することができないのかもしれないと思うのですが、実際、どうなんでしょう?
今度は、逆の立場で考えてみます。
生まれつき自己肯定感が低く、自己肯定感がまだまだあまり高く感じない私の場合、自己肯定感が高いという状態を体験したことがありません。そのため自己肯定感がどのような状態なのか、書物などで読んで知ってはいても、こころから理解することは難しいと思うのです。
もし自己肯定感の低い人々の中に、自己肯定感の高い人が入ったら・・・
人間は、自分が理解できないものには「恐怖」を感じるものです。ことにそれが自己肯定感が低い人ならなおさらです。
自己肯定感の高い人が、自己肯定感の低い人の気持ちを分からないのなら。
自己肯定感の高い人が、自己肯定感の低い人をこころから理解できないのなら。
自己肯定感の高い人と低い人が真に分かり合うのは難しいのかもしれません。だとすれば、 もし自己肯定感の低い人々の中に、自己肯定感の高い人が入ったら、自己肯定感の低い人々は自己肯定感の高い人を「異質」に感じ、受け入れられないかもしれません。
そして、そんな、状況に自己肯定感の高い人は戸惑いを覚えるかもしれません。
海外の学校でのびのび育った帰国子女が、日本の学校に馴染めなくなってしまうことがあるのは、もしかしたらそんなことが原因かもしれません。それでなくても、日本の高校生は諸外国に比べ自己肯定感が低い傾向にあるといわれています。
日本の学校で、優等生がいじめにあうのもそんな「異質」なものへの恐怖が理由かもしれません。
日本の高校生が自己肯定感が低い理由について自己肯定感の低い私なりに考えてみる – 思考は現実化する
もし自己肯定感の高い人々の中に、自己肯定感の低い人が入ったら・・・
では、自己肯定感の高い人々の中に、自己肯定感の低い人が入った場合はどうでしょう。
自己肯定感の高い人は、周りの人々にも正の感情のスパイラルを起します。どんな状況になっても前向きでくじけない。怒りをあらわにすることなく困難に立ち向かって行く人々。
そんな中に、もし自己肯定感の低い人が入ったら・・・。
もしかしたら、周りと自分を比較してますます自分が嫌いになってしまうかもしれません。
自己肯定感の高い人たちは、自己肯定感の低い人に口々にいうことでしょう。
「あなたなら大丈夫!」
そんな、言葉に勇気づけられることがあるかもしれません。でも、きっとこうも思ってしまうのです。
「なんで私なんかに!?」
他者からの好意に戸惑ってしまう。場合によっては、何か裏があるのではないかと疑ってしまうようなことがあるような気がします。友達を作るのも一苦労です。
それでも、自己肯定感の低い人は、自己肯定感の低い人の中で”やわらかい泥の中に沈むように”安心するのではなく、自己肯定感の高い人たちといるべきだと思います。そうすれば周りの人たちに感化されて、いつか「自分を変えよう」「自分もがんばろう」となれるかもしれません。
まとめ
自己肯定感とは、「私は大切な存在なんだ」とこころの底から湧き上がってくる感情のことです。それは、幼少期に親からたくさんの愛情を注がれることで養われるといわれています。そんな、自己肯定感のサラブレッドの人たちには、自己肯定感の低い人の気持ちはこころから理解できないかもしれません。
だからといって、自己肯定感の低い人は、自己肯定感の高い人を「異質」と恐れる必要はありません。
勇気を振り絞って、自己肯定感の高い人たちに近づいて、自己肯定感が高いという状態を観察し、学んでみましょう。そうすれば、その人たちに感化されて、いつか「自分を変えよう」「自分もがんばろう」となれるかもしれません。
世の中のすべての人が、生まれつき自己肯定感が高い訳ではないはず。少しづつでも、こころの螺旋をのぼって、自己肯定感を高めていきましょう。
今回は、生まれついて自己肯定感が高い人は、自己肯定感の低い人の気持ちを理解できるのかどうかについて、自己肯定感の低い私なりに考えてみました。でも、実際のところ、どうなのでしょう?
自己肯定感の高い人、ぜひ、教えてください。
コメント
自己肯定感は私の定義だと自己イメージとほぼ同じ意味だと思っています。自己イメージって自己評価と他者評価の両方があり、主観と客観でもあります。自己イメージは私は分野ごとに異なります。ライター系なら高い方でしょうがプログラミングやIT系なら「まだまだ実力不足」というイメージです。
自己イメージを実力がないのに高く自己評価し、勘違い野郎もいます。
b204638さんはどの分野において自己イメージが低いのでしょうか?
もしかして全て全般においてではないですよね?
IT系の操作系なら凄いと私は思いますし、文章力もあると思います。
まぁ、上には上がいるという意識ならば「まだまだ実力不足」という自己イメージなのかもしれませんが。
分野ごとに自己イメージって変わりませんかね?
勉強では自己イメージが高いけど、恋愛やコミュニケーションでは低いとか。
自己肯定感(自己イメージ)が高くないと私の成功理論では頑張るやる気が湧かないと主張しています。
高い自己イメージありきであり、それに近づけるようにするからです。
ほとんどの人間が平均以上と自信過剰になっているので、b204638さんは優秀層なんじゃないでしょうか。
実際、ブログも文章もしっかりしてますし。
東大生ほど自己イメージが低くなるみたいですし。(周りが凄い人だらけなので)
自己イメージが低いということは周りに凄い人だらけであり、それが基準で「自分はまだまだだ」と理想が高いからこそ起こります。
理想が高いことはいいことですよ。理想が低い人はそもそも悩まないし、自分は平均以上だと錯覚し、そのままでOK出してますからね。
私は分野ごとで自己イメージが違うと冷静に思っています。
id:yononakatorisetuさん、コメントありがとうございます。私の自己イメージは、総じてあまり高くないです。それは自己肯定感に加え自己有用感もあまり高くないからだと考えています。理由は明確で自分と他者を比べてしまうから。ですから最近は、他者と比べるのではなく、過去の自分と比べるようにしています。自己イメージが過去の自分より向上すれば、それは少しづつですが進歩・成長しているので。とはいえ、子どもの将来こと(学費なども含め)考えていくと、どうしても現実、他者と比較をしなければならない部分もあるのですが。でも、やはり比較してあせってもしょうがないですし、開き直って少しずつ向上していこうと考えています。貴重なご意見ありがとうございます。
自己肯定感。難しい問題です。
何故なら、犯罪者は皆、自己肯定感が異常に高い人達ですから。
世界で一番自己肯定感が強いのは、アメリカ合衆国です。その結果、犯罪大国です。2億の人口で自殺は僅か7000人。逆に、殺人は4万人です。
日本人は、自己肯定感が低いので、自殺が3万人で殺人は僅か500人です。
私は自己肯定感が非常に低かったので、よく勉強しました。企業に入ると、よく働きました。おかげで、金銭的には余裕があります。自己肯定感が低かったおかげだと考えています。
ヨーロッパの様に、自己肯定感が高く、倫理観の高い国になれば良いのですが、なかなか難しいですね。
日本人の自己肯定感の低さの原因は、親です。あれをしてはダメ・これをしてはダメ。ダメダメの連発で、子供の自己肯定感は低くなります。これは、日本人の大人に幼児傾向があり、社会をスーパーエゴとして認識している事に原因があります。社会を恐れるあまり、子供に厳しく当たるのです。(それによって、社会的評価を得たいと思っている)
欧米では、個人は社会をスーパーエゴとして認識しません。個人は社会から独立しており、社会とは契約の関係です。社会に不満があれば、主張し、選挙で社会を変えてゆきます。
欧米では、親が子供に強制する事は稀です。親が子供に語りかける言葉は、”何をしたいの?”です。その中で、社会ではどうふるまうか(=倫理観)を教えて行きます。
話が変わりますが、日本で一世を風靡した漫画があります。巨人の星です。これをアメリカやヨーロッパに輸出しましたが、全く人気が出ませんでした。
何故でしょうか? それは、欧米の親は子供に自分の意志を押し付けないからです。(それこそが自由社会の証)
かく言う私も、巨人の星を見て感動した類なので、親が子供に何かを押し付けるのが当たり前と感じてしまっているのでしょう。ですから、日本人の自己肯定感の低さの原因が最近まで判りませんでした。
実際、多くの日本人心理学者が日本人の自己肯定感の低さの原因を理解できないでいます。巨人の星で感動している人間には、原因が判らないのも当然です。偉大な心理学者である河合ですら、原因が判らない、と公言していました。
PEROさん、コメントありがとうございます。私も、一人の子どもの親として、自分がいかに子どもを「禁止」「制限」しているのかについて悩んでいました。どうしてそう思ってしまうのかは、遡ってみると自分自身が親から「禁止」「制限」されていたことをそのまま子どもにしてしまっているのです。その「禁止」「制限」で自分が苦しんでいるにもかかわらず。このことに気づくことができたので、次は語りかけに気を配り、倫理を教えられる親を目指します。ありがとうございます。