感情を載せずに伝える【ポジティブ・リアクション】

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こんにちは。

あなたは、普段、なにげなく気になったことを忘れてしまい、あとから思い出そうとして、もやもやしてしまうことはありませんか?

普段、何気なく気になり「今度調べてみよう」ということや「これはいい言葉だな〜、覚えておこう」と思う事がけっこうある。

でも、様々な情報の濁流の中で、すぐに忘れてしまったりします。

頭の中の短期記憶のスペースは限られているので、思い立った瞬間毎に、長期記憶に置き換えるプロセスを経ないと、まるでトコロテンの様に、新しい情報に押し出されて失われてしまう。

こんな事をぼんやり考えている今も、私の頭の中のところ天の助が、どうでもいい様な情報で、古い記憶を押し出しています。

ところ天の助(ところてんのすけ)

漫画『ボボボーボ・ボーボボ』『真説ボボボーボ・ボーボボ』に登場する、架空のキャラクター。(Wikipediaより)

この記事の冒頭も、実は1週間以上前に書き始めたものです。

その時は〈シグナリング理論〉について書こうと考えていたのですが、なかなか時間を作ることができず、途中で「私の頭の中のところ天の助」というタイトルに変えようか、とも思っていました。

先週は、そんな感じで、自分の中にインプットした情報が整理できず、ところ天の助のやつにどんどん押し出されていく中で、他の方の記事を読んで気になった個所があったものをひたすらブックマークしまくっていました。

ブックマークには、その時に何が気になったか明確な時はコメントを入れ、何が気になったのかわからないけど気になる、もしくはすぐにコメントにできない時はブックマークだけをしていきました。

そんな中で、ある記事を読んだ時に、別の記事の事を思い出して、私の中で「これだ!」という直感が働いたことがありました。

それは、先週の土曜日の仕事中のことで、その直感はその時は、私としては「何かすごいことに気づいた」ような気がしたのですが、そのこともまた、ところ天の助が押し出そうとしているのです。(何割かは押し出されてしまったかもしれません)

今回は、その時の直感が本当に私にとっての「気づき」だったのか、振り返ってみようと思います。

とにかく誰かが勃起している

はじめの「気づき」は、村上春樹さんについて書かれた記事に対して、3月6日(月)に付けたブックマークからです。

2月24日(金)に村上春樹さんの新刊『騎士団長殺し』が発売されたこともあって、その頃から、さまざまな方が村上春樹さんのことを書いているのを目にしました。

私は、ハルキストといわれる程の熱狂的なファンではないのですが、一時期は村上春樹さんの小説の「僕」に憧れて、パスタを作ったり、パスタのためにベランダでバジルの鉢植えを植えたり、(お酒そんなに飲めないのに)カティサークを飲んだり、いつか猫を飼ったら名前は「いわし」にしよう、と真剣に考えていた頃があります。

そんな私は、ある記事で村上春樹さんについて、

村上春樹のよくわからないところ

とにかく誰かが勃起している。

というような事が書かれているのを読んで、ブックマークでこんなコメントを付けました。

欲望を感じなくても勃起するから、やれやれ、なんだと思います。村上春樹さんの小説、そういうシーンも多いのに、なんかドロドロした印象がなく、他の様々な事と同じ、ただの行為として感じられるような気がします。

これは、私が、ずっと村上春樹さんの小説に感じていた印象なんですが、思えば、文章にしたのはこの時がはじめてでした。

そして、今、こうやって文章を書いていて思い出したのですが、そういえば、一時期「やれやれ」を口癖にしていた時期もあったような気がします。

ここまでは、特に「発見」ではありません。

でも、久々に村上春樹さんの小説が読んでみたくなりました。

感情を載せずに伝える

二つ目の「気づき」は、この記事に対して3月11日(土)に付けたブックマークからです。

ちっちゃな主張 – kinny528の日記

行列の順番を抜かされそうな時に、自然に、感情を載せずに

「すいませーん、私が先でーす」

ということができた、というエピソードです。いつもは自分の中に押しとどめてしまう思いを自然に口にすることができて

「自分を大切にすることができた気がしてうれくもありました。」

とこの方は書かれていらっしゃいました。

私も、順番を飛ばされたりすると、抜かした人やそれを見過ごしてしまった店員さんに「殺気を送る(笑)」ということや、怒りを感じてしまう、ということがあるのですが、この記事を読んで、1つ気づいたことがありました。それは

感情を載せずに伝える

ということです。

この記事を読んだ時、私も、つい先日、同じようなことがあったことを思い出したのです。

その時、私は、会社帰りに賑わう夕方のスーパーのレジに並んでいました。

すると、もうすぐ順番がくるという頃に一人のおばさんが私の前にサッと入ってきました。

私が、少しあっけにとられていると、何となく、私とそのおばさんの目が合いました。その時、おばさんが少し悪びれた様子でひと言

「やっぱダメかな」

と言ったのです。私は、反射的に

「それはダメじゃないですか。私の後ろにもたくさん並ばれていますし」

とごく自然に言葉を返していました。するとおばさんも

「そうだよね」

と列の後ろに並びなおしに行ったのです。

この時、私はあっけにとられていたこともあり、私の言葉には「怒り」や「苛立ち」「嫌悪」といったマイナス感情が載っていなかったと思います。

もし、そういった感情が少しでも載っていたら、その感情は言葉に載っておばさんに伝わり、もう少し険悪な状況になっていたかも、と先程の記事を読んで思ったのです。

この記事のブックマークでこんなコメントを付けました。

「怒りとか何の感情も載せずただ自分のほうが先にいたよと、伝えた」 感情を載せず、というのが中々難しい。負の感情が無く、淡々と事実を伝えれば、相手も受け止めやすいのかもしれない。 気をつけたいと思います。

そして、この2つの記事を経て、私はある直感を得ることができたのです。それは

ただの出来事として捉える

ことと

感情を載せずに伝える

ことです。

「マイナス感情の載った言葉」をスマッシュしない

これまでも、何度も同じことを書いていますが、私にとっての大切なテーマに「ポジティブ・リアクション」というものがあります。

「出来事」⇒「解釈」⇒「反応」

というプロセスがあることを意識する

そして、それが意識できれば

反応(リアクション)をポジティブに変えることができる

大切なのは、

その反応は自分で選んでいる

のだと意識することです。

(ポジティブ・リアクション)

私が、何度も同じようなことを書いているのは、すぐに忘れてしまう私への反復の意識付けのためでもあるのですが、この「ポジティブ・リアクション」が、まだまだ上手くできない時があります。

油断をするとすぐに、私の頭の中のペコが

「反応・反射・音速・高速、もっと速く、もっと!」

と囁きかけてきて、ものすごい速さで「ネガティブな解釈」⇒「マイナス感情の載った言葉」のスマッシュを打ち出してしまうことがあります。

ペコ

星野裕(ほしの ゆたか)。漫画「ピンポン」の主人公。通称ペコ。幼い頃からタムラ卓球場で腕を磨き、小学校の頃から卓球にかけては右に出るものが殆どいなかった。その才能は周りから ヒーローとして意識されるほど。本人曰く「無敵だよ」

まとめ

今回、私が直感した「気づき」とは次のことでした。

ただの出来事として捉え、感情を載せずに伝える

特に感情を載せずにということを意識することができれば、もう少し上手く生きられるような気がしました。

感情を載せずにというのは決して無感情・非情になることではなく、起こってしまった事、遭遇してしまった事をただの出来事として捉え、その出来事にマイナスの感情を載せないということです。

これは「ポジティブ・リアクション」にも通じる、もしくは「ポジティブ・リアクション」を実践するためのヒントになる、と直感したのです。

そのために、まずは、私の頭の中に『村上春樹さんの小説の主人公「僕」』を新たな住人としてお越しいただくことで、出来事に対してまず、

「やれやれ」

といってもらうことで、瞬間的にネガティブな解釈をしないように気を付けていけるような気がします。

「ポジティブ・リアクション」については、こちらの記事でも書いています。

【スラムダンク】花道を勇気づけた晴子さんの「ポジティブ・リアクション」

ココロの筋肉を鍛える方法【カラダの筋肉・ココロの筋肉】

それにしても、今回は何とか、無事、ところ天の助に押し出される前に、頭の中の「気づき」を整理しまとめることができたような気がします。

そのうち、いつか「私の頭の中の〇〇」についても書いてみようかという気にもなってきました。(以前、一度、私の頭の中のクシャナ殿下という記事を書こうと思ってやめたのですが)

〈シグナリング理論〉の話も、忘れる前にまとめてみるつもりです。

この後、かなり後に書いたシグナリング理論に関連した記事がこちらです。

【人間関係】あなたが信用を大切にしなければならない理由

今回は、頭の中の感情を整理しながら、私にとっての新たな「気づき」について振り返ってみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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